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演技と演出のレッスン [演劇]


演技と演出のレッスン ─ 魅力的な俳優になるために

演技と演出のレッスン ─ 魅力的な俳優になるために




 鴻上尚史の「演技と演出のレッスン」は演技の入門書である。

 映画が好きでよく観ている割には、我ながら演技のことがよく分かっていなかったので、ふと読んでみたのだが、これが結構ためになった。

 本書を読むと、俳優がどんな風なステップを踏んで演技を行っているのか、映画や演劇の中で俳優がどんな役割を果たしているのかがよく分かる。

 映画や演劇の台本にも、俳優のする行動について何でもかんでも書かれているわけではないそうだ。セリフと必要最低限のト書きがあるだけで、具体的な動作などは俳優が自ら考えなければならない。

 俳優というのは、演出家や台本の指示に従って動くだけの人形ではなくて、自ら役柄のふるまいを決定していく主体的な存在だという。

 能動的に動いていくために、俳優は自らの役柄を詳細にイメージする。どんな性格なのか、どんな目的があるのか、どんな家族がいてどんな家に住んでいるのかなど、台本に書かれていない部分を埋めていく。与えられた役柄をより実在感のある、生き生きとしたものにしていく。キャラクターを創りあげていくのが俳優の役割なのだ。

 キャラクターが固まったら、それぞれの場面で「もしこのキャラクターがこんな状況に置かれたら、どう行動する?」という問題提起をする。「もし~だったら」という空想を膨らませて、具体的な行動を決めていく。

 かように俳優というのは想像力が試される仕事だったのだ。
 
 本書を読むと、俳優の役割の重要さに気づかされる。俳優の力量によって、作品のリアリティのレベルが上がったり下がったりもする。これから映画やドラマを見るときには、俳優の演技にももっと着目してみたくなった。
タグ:鴻上尚史
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演劇入門 [演劇]


演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)




 演劇の面白いところは、物語が会話によって展開するということだろう。

 登場人物たちが会話をしている場面の積み重ねによって、ストーリーが進行し、人物たちの人となりが明らかになる。会話から、人物たちの関係性や、直面している問題、人物たちの考えが見えてくる。

 もし会話ではなく、ナレーションだけで話が進んでしまったとしたら、単なるあらすじになってしまう。新聞記事のような客観的な媒体であれば、それでもよいのかもしれないが、演劇の場合にはそうはいかないのだ。

 演劇では会話によって観客に情報を提供することが重要になるわけだけれども、台詞が説明的になってもいけない。情報を提供しつつも自然な会話に見える必要がある。

 たとえば、話の舞台がホテルだったとして、登場人物が開口一番「いいホテルだなあ」などと言うのはあまりにも説明的である。人物たちが雑談などをしている中で、あくまでもさりげない形でホテルであるという情報を示す必要があるのだ。

 本書「演劇入門」は、そんな演劇の基本的なルールについて書かれた本である。演劇のリアルとは何か? よい台詞とは何? 演技者の善し悪しはどう決まるのか? 演劇人としての豊富な経験からの見解が述べられている。

 言われてみればそうだよなあという話のオンパレード。演劇やら映画やら小説やらにこれまでたくさん触れてきていたわりには、気づかなかったことも多かったので、目から鱗が落ちた。

 話が演劇だけにとどまらないところもよい。人は普段どんなふうに会話をしているのかといった、生活の基本的な事柄についても深い考察がされている。世界観をあらためてくれるような本ともいえるだろう。

 さらっと読める本なのではあったが、自分にとっては今後かなり影響がありそうだ。
タグ:平田オリザ
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ハムレット [演劇]





 名作「ハムレット」にもいろいろとバージョンがあるらしい。今回読んだのは、Q1版というもの。一番最初に世に出た台本で、短くすっきりとして、非常に読みやすい。

 物語は復讐劇の元祖ともいえる内容だ。

 デンマーク王が死去して、王妃は王の弟であるクローディアスと再婚する。王の死に嘆き悲しむ王子ハムレットは、あるとき、王の亡霊と会う。亡霊はハムレットに告げる。王がクローディアスの陰謀で毒殺され、王位と王妃を奪われたことを。ハムレットは復讐を誓い、クローディアスを追い詰める計画を立てる。

 ストーリーシンプルな復讐ものながらも、出てくる登場人物たちが魅力的なところがよかった。

 クローディアスはハムレットの怒りを知るや、逆にハムレットを亡き者にしようとたくらむ。ハムレットを慕うオフィーリアはハムレットの変貌ぶりを見て嘆き悲しむ。オフィーリアの兄であるレアティーズはハムレットに人生を狂わされ、復讐に燃える。ホレイショは、ハムレットに忠実な親友。

 ハムレットの行動によって、ハムレットのみならず、周りの人物たちの人生までおかしな方向に進んでいくところが見ものだった。

 結局のところ主人公の目的は達成され、復讐が成し遂げられたというカタルシスはあるのに、主人公を含めて誰も幸せにならない。みんな不幸なまま終わるというのが、何とも悲劇的だ。

 名作といわれるだけあって、あちこちにきら星のようなセリフがちりばめられている。何度も読み返したくなるような力強い作品だった。
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リチャード三世 [演劇]


リチャード三世 (新潮文庫)

リチャード三世 (新潮文庫)




 昔、イギリスで薔薇戦争と呼ばれる戦争があった。

 時代は1455年ごろ、英仏百年戦争が終わった直後の時期だ。

 戦っていたのは、ヨーク家のリチャードランカスター家のヘンリー6世という人たち。王位継承権をめぐる争いだった。

 なんで薔薇戦争と呼ばれるかというと、ヨーク家の紋章が白薔薇で、ランカスター家の紋章が赤薔薇だったからだそうだ。

 戦いがいくども繰り返されたのち、リチャードの子であるエドワード四世が王位に就くが、せっかくヨーク家が権力を握ったと思ったら、今度はヨーク家内部で内紛が起こってしまう。王位継承をめぐっての争いがまたもや勃発することになるのだ。

 シェイクスピアの「リチャード三世」はちょうどこのころの時代を描いた作品である。

 エドワード四世亡きあと、権力の座に上り詰めるために、あらゆる悪徳を重ねたというリチャード三世。

 権力を得るためには、身内も平気で殺害するし、幼い王子にまで手をかけようとする。嘘八百を並べ立て、仲間だろうが平気で裏切る。目的に向かってなりふり構わず行動する悪漢。そんな恐ろしい人物として描かれていた。

 リチャード三世に限らず、報奨目当てにリチャードに加担するバッキンガム公とか、リチャードに夫を殺されたのに権力に目がくらんでリチャードの妃になるアンだとか、そこまでして権力がほしかったのかと読んでいてあきれてしまうくらい権力欲にまみれている。

 どうせ権力の座についても、今度は自分が狙われる立場になるだけなのになあと、登場人物たちの価値観にはあまり共感できなかったのだが、よく考えたら権力のために殺戮を繰り返すような話はリチャード三世に限った話ではない。ヨーロッパ諸国でも中国でも昔の日本でも、歴史的に見たらどこにでもあった話なのである。

 リチャード三世のような残虐性というのは、残念ながら人間の持つ普遍的な性質なのだろう。

 そして、こうした特質というのは昔の人だけに限った話ではない。われわれもまたこうした人々の子孫なのであるから、こうした呪いのような性質を受け継いでいるはずである。たかだか数百年で人間が清廉潔癖に進化したとも思えない。誰の中にもリチャード三世が隠れていて、解放される時をじっと待っているのかもしれない。

 そういう意味では、この作品は、人間の持つ残虐さや権力に目がくらむ愚かさという普遍性を描いた、現代にも通じる作品なのではないかと思うのだ。
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十二夜 [演劇]




 
 主人公が誰かと入れかわったり、誰かに成りすましたりすることで、大騒動が起こるという話は古今東西たくさんある。

 ケストナーの「ふたりのロッテ」は双子の姉妹が入れかわる話だし、マーク・トウェインの「王子と乞食」は王子と乞食が入れかわる話だった。「デーヴ」という映画では、モノマネ俳優がアメリカ大統領に成りすまして活躍する。

 周囲に勘違いが広がっていって、物事が思わぬ方向に進んでいく可笑しさ。コメディの定番中の定番かもしれないが、この種の話は何度読んでも楽しい。

 なかでもウィリアム・シェイクスピアの「十二夜」はこの種の物語の先駆的作品といえるだろう。さすがにシェイクスピアが書いているだけあって、完成度が高い。

 物語の主人公は船が難破して生き別れになった双子の兄と妹。妹のヴァイオラはひょんなことから男装してイリリアの領主オーシーノの下に仕えることになる。

 ヴァイオラはすっかりオーシーノの魅力にとりつかれてしまうが、オーシーノはすでにオリヴィアという別の女性に恋い焦がれていた。オーシーノがオリヴィアに求婚しようとしたところ、思いもよらず、オリヴィアは使いとしてやってきた男装したヴァイオラに一目ぼれしてしまう。

 そこに生き別れになったヴァイオラの兄のセバスチャンがやってくる。

 登場人物がたくさん出てきて、その誰もが何かしらの勘違いをしているところが見事。たたみかけるように勘違いが積み重なっていく。そして、そうした勘違いが人物たちの行動を狂わせ、各自おかしな運命をたどっていく。

 脇役がいないというか、どの人物にも見せ場があるところもよかった。それぞれの人物の思いがきちんと書き分けられているから、可笑しみが増すのだろう。

 てんやわんやの騒動になっていくので、どうやって話をまとめるのだろうと思いながら読んだ。最後はきっちりとまとめていて、読後感も爽快。さすがに古典と呼ばれるだけあって、面白かった。
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ミステリの女王の冒険 [演劇]


ミステリの女王の冒険―視聴者への挑戦 (論創海外ミステリ)

ミステリの女王の冒険―視聴者への挑戦 (論創海外ミステリ)

  • 作者: エラリー クイーン
  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2010/02
  • メディア: 単行本



 1970年代にアメリカで製作されたテレビドラマ「エラリー・クイーン」。名探偵エラリー・クイーンを主人公にした本格ミステリーもので、その巧妙なプロットや見事な推理は、ミステリーファンをうならせる完成度の高いものだった。

 ドラマの製作総指揮を務めたのは、リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンク。ミステリードラマの金字塔「刑事コロンボ」を生み出した黄金コンビである。

 「刑事コロンボ」にも出てくるような、犯人の巧妙なトリック。そして、些細な手がかりが真相へと結びついていく面白さ。エラリー・クイーンを敬愛するふたりが、本格ミステリーの奇術趣味とロジックの妙味をブラウン管の世界に再現。ミステリーの醍醐味がぎっしり詰まった秀逸なドラマだ。

 本書はその「エラリー・クイーン」の中から、選りすぐりのエピソードをまとめたシナリオ集である。エラリー・クイーンも刑事コロンボも両方好きな自分としては、もう読まずにはいられなかった。

 実際に読んでみると、結構バラエティに富んだ内容になっていて、なかなかひと筋縄に行かない。1階でエレベーターに乗り込んだ被害者が上に上がった時にはもう死んでいたという不可能犯罪を扱った、「十二階特急の冒険」。なぜか高価な中国置物を凶器として使用した犯人のおかしな行動を探る、「黄金のこま犬の冒険」。殺人容疑で起訴された被告人が、自分の無罪を証言してくれるはずの幻の女を探すという法廷もの、「慎重な証人の冒険」。船上でワイン商が殺されるというトラベルミステリー、「ミステリの女王の冒険」。

 毎回毎回、登場人物のほとんどが被害者を殺害する動機を持っている。最後には、エラリーからの「視聴者への挑戦」も出てきて、誰が犯人かを当てる趣向になっていて、犯人はあいつかこいつかと考えるのが楽しい。

 とくに「慎重な証人の冒険」は、本作の中でもぬきんでて完成度が高かった。主人公が事件を調べていくうちに次々に奇妙な事実が明らかになって、謎の渦中に入り込んでいくような雰囲気は、まるでフィルムノワールを観ているよう。随所におかれた手がかりと、ロジックの面白さ、犯人の意外性。これ一作だけでも、ミステリーの名作一冊読んだくらいの価値はあるなと思った。

 テレビドラマ化にあたっては、謎が複雑で難解すぎたという問題もあったようで、解説に失敗談もたくさん書かれていて興味深い。ミステリーも、謎が難しすぎるものよりも、むしろある程度正解に手が届くものの方が、視聴者には親しみやすいそうだ。このときの失敗がもとになって、二人の製作者はのちにロングセラーとなるシリーズ「ジェシカおばさんの事件簿」を生み出すことになる。

 読んでいて、ミステリーの世界にどっぷりと浸ることができて、非常に楽しめた。「刑事コロンボ」の原点には、エラリー・クイーンの小説があることがよく分かる。偉大な作品はまた別の作家に影響を与えて、別の偉大な作品を生み出す。創造の系譜のようなものを知ることができて、面白いなあと思った。

アクナーテン [演劇]


アクナーテン (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクナーテン (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)


 

 古代エジプトなどというと、いかにもミステリアスな雰囲気が漂っていて、歴史のロマンに魅せられてしまう。ギザのピラミッドやスフィンクス、ファラオのミイラ……。どんな世界が広がっていたのか、大いに想像を掻き立てられる。

 なかでも有名なのが、ツタンカーメン王。その黄金のマスクの輝きには誰しもが魅了され、最近でも、上野の博物館で公開されて、話題となった。

 ツタンカーメンは紀元前14世紀、古代エジプト18王朝のファラオ。まだ年端もいかない少年のうちに王になってしまった人物。なぜ、ツタンカーメンはファラオになることになったのだろう? まだ若いままに亡くなったとされるその死の真相はいかなるものであったのだろう? 

 どんな出来事があったのか、謎に包まれた歴史の背景が知りたくて、思わず次々に疑問がわいてきてしまうけれども、そんな古代エジプトの世界、ツタンカーメンの時代を垣間見せてくれる一冊の本がある。

 ミステリー作家のアガサ・クリスティーが書いた戯曲「アクナーテン」。クリスティーには珍しく、推理物ではない、純粋な歴史劇だ。ちょうどツタンカーメンとその前の王であるアクナーテン(アメンホテプ4世)の時代のエジプトの世界が描かれていて、古代エジプトの世界へとタイムトリップさせてくれる興味深い本なのだ。

 物語は、古代エジプト第18王朝のファラオ、アメンホテプ3世が病気で亡くなるところからはじまる。当時のエジプトは繁栄を極めていて、広大な土地を支配下におさめ、平和を享受していた。ファラオであるアメンホテプ3世は、アメン神をはじめとする様々な神を信仰し、民衆からも慕われていた。

 アメンホテプ3世が亡くなると、その跡を息子のアクナーテンが継ぐことになる。これがこの物語の主人公。アクナーテンは、たいへんな夢想家であり、詩を愛する清純な人物。彼は伝統的なアメン信仰を嫌い、唯一神アテンを崇拝するアテン信仰に目覚める。従来のアメン信仰の広まりによって、神官が強大な権力を握っていることにも不満を持った彼は、宗教改革を断行。都もテーベからアマルナへと移し、新たな統治を開始することに。

 だが、アクナーテンの強引なやり方に神官たちが黙っているはずもなかった。民衆の間にもふつふつと不満がくすぶっているのをみて、一部の者たちが謀反を企て、アクナーテンを亡き者にしようと裏工作を開始する。そして、まだ幼いツタンカーメンを王に据えることを画策するのだった……。

 世界史上初といわれる一神教をはじめたアクナーテンの改革とそれが潰えるまでを描いた歴史ドラマ。古代エジプトの世界が生き生きと表現されていて、ファラオの時代に飛び込んだかのような臨場感。こんな出来事があったのかという歴史好きにはたまらない魅力のある作品だ。

 歴史上謎とされてきた部分、ファラオたちの系譜やツタンカーメンの死の真相などについても、クリスティーは独自の解釈をつむぎあげ、ドラマティックに表現している。とくに、神官たちがアクナーテンを罠にはめようとするところなどは、いかにもクリスティーらしい陰謀劇になっていて面白い。

 最も興味深いのは、主人公のアクナーテンの人物像だろう。彼は平和主義者で人道的な人物として描かれている。属国で紛争が起こっても軍隊を送るのを絶対的に拒む理想主義者。だが、軍人はその理想主義に反発。強引すぎる宗教改革にも民衆は辟易して、とうとう反乱がおこる。アクナーテンの掲げる理想的な世界と現実との激しい戦いが主題になっているのだ。

 歴史の陰に隠れていたドラマティックな物語。宗教の意味や政治の在り方について考えさせられるし、この後エジプトはどうなっていくのだろう? アクナーテンの一神教は世界にどんな影響をもたらすのか? というさらなる歴史の興味がわいてしまう面白い本だった。

招かれざる客 [演劇]


招かれざる客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

招かれざる客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)




 人家まばらな土地に建つ邸宅から響き渡る銃声。家の主であるリチャード・ウォリックが殺害され、その妻ローラが被害者のかたわらで拳銃を握りしめていた。屋敷にやってきた男スタークウェッダーは、ローラの窮地を救うため、巧妙な計略を練り始める。

 アガサ・クリスティーが書いたミステリー劇。

 クリスティには珍しく、犯罪者の目線で物語の幕が上がる作品。刑事コロンボ風というか、どうやって警察の目をごまかすかという犯行計画が最初に描き出されるところが面白い。自殺に見せかけてはどうか? 事故に見せかけるのはどうか? 第三者に罪を着せるのはどうか? 警察の目を誤誘導させるたくらみが次々に出てきて、冒頭からスリリングな展開。クリスティがどのようにして、読者をミスリードしているのか、その舞台裏を垣間見ているようで、ファンとしてはうれしい始まり方だ。

 最初は犯人が分かっているように見えるのだが、読み進むうちに、だんだん本当にローラが夫を撃ったのか不明瞭になってくる。実はほかに犯人がいるんじゃないか? 登場人物だれしもが被害者を殺害する立派な動機を持っていたことが分かってきて、みんな怪しく見えてくる。本当は犯人はだれなんだろうという、謎めいた展開が繰り広げられて、疑心暗鬼になるような雰囲気にはぞくぞくさせられた。

 騙す側の視点に立って読んでいたと思ったら、実はいつの間に騙される側の目線にすり替わってしまっていたという巧妙な仕掛け。クリスティーはどこまでもプロット構成が巧みな作家だなあとうならされた。

 最後にはさらなるどんでん返しも用意されていて、これは予想できずに驚いてしまう。最後の最後まで油断できない作品だ。

 戯曲なのでセリフだけであるし、長さも短いのだけれども、緻密な構成と巧妙なトリックで、ミステリーとしての完成度は高い。実際に舞台で演じられているところをぜひ観てみたいなと思った。

ねずみとり [演劇]


ねずみとり (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ねずみとり (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)




 若夫婦の経営するマンクスウェル山荘に集まった5人の泊り客。彼らのもとに、一人の刑事が訪れる。ラジオから流れてくる殺人事件のニュース……。その事件の犯人がこれから山荘にやってくる、あるいは、もうすでにやってきているかもしれないという。大雪で外界から遮断され、電話も通じなくなってしまった山荘。マザー・グースの<3匹のめくらのネズミ>のメロディが流れはじめるなか、第2の殺人事件が巻き起こる。

 演劇界でロングランを記録している、アガサ・クリスティによるミステリー劇。

 雪の山荘という閉ざされた空間の中で起こる殺人事件。登場人物の誰が「容疑者」で、誰が「被害者」なのか? お互いが疑心暗鬼になって、対立を深めていく様子がサスペンスフルに描かれている。

 クリスティの「そして誰もいなくなった」に少し雰囲気が似ている。ロジカルな推理作品というよりも、緊張感漂うサスペンス寄りの作品と言えるだろう。ただ、それぞれの登場人物にちょっとした秘密が用意されていたり、先入観をくつがえすようなところもあるので、その辺りはまぎれもなくクリスティの本領が発揮されていて、ミステリー作品としての読みごたえも十分ではある。

 戯曲として書かれているので、台詞のみで構成されているが、クリスティの作品はもともと会話劇みたいなところがあるので、あまり気にならずに読めてしまった。台詞だけでいろいろな状況を自然に飲み込ませてしまう手腕が見事。登場人物それぞれの個性も会話から伝わってきた。

 本国イギリスでは今でも上演されている人気の作品とのこと。日本で上演されたらぜひとも観てみたい、上質なミステリー劇だった。