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伝え方が9割 [実用]


伝え方が9割

伝え方が9割




 コミュニケーション本もいろいろ読んでいるうちに、だんだんわかってきたのが、一口にコミュニケーションといっても、その目的はひとつではないということ。相手にお願いをする、感動を与える、情報を収集する、分かりやすく説明する、会話自体を楽しむなど、人と話す場面によって、話す目的は様々。そのときどきの状況で、人とコミュニケーションをする理由がちがってくる。

 場面場面で目的が異なるのだから、必要なコミュニケーション技術も場面によって異なってくる。情報を収集したいときには、「質問力」や「聞く力」が必要になる。相手に何かお願いをしたいときには、「説得力」「交渉術」が必要になる。分かりやすく説明したいときには、「伝える力」「プレゼン力」が必要になる。会話自体を楽しみたいときには、「雑談力」が必要だろう。コミュニケーション技術も、場面によって必要とされるテクニックが異なっていて、そのときどきで使い分けていかなければならないのだ。

 本書「伝え方が9割」もまた、コミュニケーション技術を向上させるための本であるが、中でも「相手に何かをお願いしたいとき」と「人に感動を与えたいとき」のテクニックについて書かれている。

 筆者はコピーライターで、数々の賞を受賞したり、音楽の作詞を手がけたりもしている人。コピーライターとして活躍する間に培ったコミュニケーションのコツを、惜しげもなく披露してくれている。

 筆者はもともとコミュニケーションが下手だったそうで、なるべく目立たないように生活したり、文章を書いたりすることも苦手だったり、自分を表現することに苦痛を感じていたのだとか。入社した会社でたまたまコピーライターの配属となったが、最初は仕事がままならず悩みぬく日々……。

 だが、あるときいろいろな名コピーを読み比べていた時に、人を感動させるコピーには共通点があることにはたと気づく。ひょっとしたら、人を感動させるということには、なにか法則性があるんじゃないか? 試行錯誤を続けるうちに、筆者はだんだんとコミュニケーション技術に目覚めていき、数々の賞を受賞する一流のコピーライターへと成長していったのだそう。

 伝え方にはシンプルな技術があるというのがモットーで、本書でもいくつかのテクニックが披露されている。映画のセリフ、大統領の演説、広告のコピー、音楽の作詞などを具体的に見ていきながら、それらの言葉がなぜ人をひきつけたり感動させたりするのかを探っていく。

 本書を読むと、有名なセリフやコピーなどの言葉には共通のテクニックが用いられていることが分かって、感動というものにも本当に法則性があることが見えてきて面白い。もちろん、広告だけでなく日常生活にも応用可能なもので、これからさっそく使ってみようと思えるものもちらほらあった。

 コピーライティングの分野というのはよく知らなかったので、こういういところに気を配っているのかということが伝わってきて面白かった。具体例も豊富で、技術もわかりやすくすぐに使えるように書かれている。これから広告を見るときにはどんな手法が使われているのか気になるだろうし、「人に何かをお願いしたい」「人を感動させたい」という場面に遭遇したときには、本書に書かれていたことが参考になりそうだと思った。
タグ:佐々木圭一

コミュニケイションのレッスン [実用]


コミュニケイションのレッスン

コミュニケイションのレッスン




 舞台演出家の鴻上尚史が、コミュニケイション向上のための方法について語った本。舞台演出で培ったコミュニケイションのノウハウがぎっしりと詰まっている。

 コミュニケイションなどというと、人によって得意不得意があるイメージがあるけれども、それは人格とは関係がない。野球サッカーなどの上手下手と同じように、練習すればするほど上達していくもの。コミュニケイションというのはあくまでも技術だというのが、筆者の考え。

 本書は、このコミュニケイションは技術であるという考えから出発して、どのようにコミュニケイション力を向上させることができるのか、その練習方法を伝授した本である。「聞く」「話す」「交渉する」という3つのパートに分けて、コミュニケイションのあり方について語っている。

 コミュニケイションとは情報だけでなく感情をやりとりするものである。人は分かり合えないのが普通の状態である。交渉は「語りたい思い」と「伝える技術」がセットになっているなどなど、気になるフレーズがちらほら。コミュニケイションについて新たな見方を教えてくれる。

 テクニック的なところも参考になるけれども、この本のもっとも特徴的で面白いのは、「世間」と「社会」とは異なるという考えが前提になっているところだろう。

 「世間」というのは、仕事仲間やクラスメイトなどの自分と利害・人間関係のあるグループ。「社会」というのは、群衆や一般人などの利害・人間関係のないグループのことをさしている。日本では、「世間」と「社会」という2つの全く異なる世界があって、人々はこの2つを無意識に使い分けているというのである。

 たとえば、電車の中で化粧をする女性がたまにいるけれども、他人の目を気にせずこういう行動がとれるのは、そこが「社会」であって、自分とは関わりのない世界と思っているから。日本人は「世間」で生きることには慣れているけれども、自分に関係のない「社会」の人と付き合うことには慣れていない。だから、こういった例が生まれてくる。

 この「世間」と「社会」という違いはそのままコミュニケイションにも関係していて、「世間」におけるコミュニケイションと「社会」におけるコミュニケイションの取り方は違うので、使い分けていく必要があるんだということも書かれている。

 自分は、身近な「世間」のグループにいるときに、「社会」に向けて使うような堅い言葉を使ってしまうことがよくある。そのため、「水臭いなあ」と言われることがこれまで多かったので、この本の「世間」と「社会」の話はかなり腑に落ちた。もっと「世間」の話し方を身につけないといけなかったのだと反省させられた。

 阿川佐和子の「聞く力」とか、池上彰の「伝える力」とか、雑談本ブームとか、こういう本がベストセラーになるのは、人々がコミュニケイションに漠然とした不安感を持っているからではないだろうか。

 かくいう自分も、コミュニケイション力などというと漠然としたイメージがあって、つかみどころがないような思いがこれまであったので、本書を読んでコミュニケイションとは何なのかということの細分化した説明を受けて、いろいろな引っ掛かりができたのはよかった。「世間」と「社会」という視点から語っているところなどは、類書などには見られない新鮮な見方であって、とても参考になる。

 我ながらまだまだコミュニケイション技術が不足しているので、本書を何度も読み返して、コミュニケイションのレベルアップを図っていきたい。プロの野球選手になる必要はないけれど、草野球が楽しめるレベルくらいにはなりたいものだ。
タグ:鴻上尚史

「Chikirinの日記」の育て方 [IT]


「Chikirinの日記」の育て方

「Chikirinの日記」の育て方

  • 出版社/メーカー: ちきりんブックス
  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Kindle版




 どんなブログが面白いといえるだろう? 面白いブログの条件とは何ぞや?

 たとえば、筆者の特異な経験や知識を語ったものは面白いにちがいない。めったに行けない国の現地情報、珍しい職業の人の業界ネタ、学者の最新の研究成果など。こういう話は、素材自体が特殊なもので、一般的にあまり知られていない、なかなか手に入らない情報なので、思わず目を引かれてしまう。

 逆に、話題自体はごく日常にある、ありふれたものだけれど、独自の視点で切り込んだようなブログも面白い。ありふれたニュースをかみくだいて分かりやすく説明する、人気映画に鋭い分析を加える、社会の出来事を独自の視点で読み解く。普段当たり前に見える光景も、見方を変えることで、別の世界が開けてくるといった面白さだ。

 それから、イラスト・音楽・映画・写真・小説・工作などの芸術系。突出した作品を載せているブログは、作品の力だけで輝いて見える。

 さて、自分がよく訪れるブログに、「Chikirinの日記」というのがある。ちきりんという匿名のブロガーが書いている人気ブログで、あまりにも人気が出すぎてしまって、出版社から本を出すようにもなったり、講演会を開いたり、有名人と対談をするようになったりするくらい。

 このブログの何が面白いかというと、上述した2番目のタイプ。社会の事象を独自の思考で読み解いているところ。身近な生活だったり社会の出来事を、図式化したり、ロジカルに展開したり、深く掘り下げてみたり。読んでいて、日常的な出来事の中に新たな発見があったり、自分の生き方について考えさせられたりもするブログなのだ。

 個人の書くブログというのは、独りよがりなものになりがちである。出版社や放送局のように大勢の人間が関わって喧々諤々の議論をしながら作っているわけではないので、本などに比べるとどうしてもクオリティが下がって見えるのは仕方がない。

 だが、「Chikirinの日記」は、そういった素人くささがなく、個人ブログであるにもかかわらず、ハイクオリティを保っているところがすごい。そのまま新書にして出版しても遜色ない出来栄えなのだ。

 ブログを訪れるたびに常々感心させられてきたが、本書を読んで、その秘密の一端を垣間見た気がする。本書は、「Chikirinの日記」の舞台裏を明らかにしたもので、ちきりんがどのようにブログを運用しているのか、どんなポリシーを持っているのかを知ることができる本。

 これを読むと、筆者がブログのターゲット層を明確に意識していたり、伝えたいメッセージをどのように組み立てるのかというノウハウがあったり、自分のメディア空間を作るという目的があったりと、明快な指針を作って運用していることが見えてくる。これだけ自己分析・自己研磨ができているから、クオリティの高いブログに仕上がっているのだろう。

 そもそもブログを書く目的は人それぞれだし、価値観も人によって違うので、この本に書いてあることをそのまままねても仕方がない。だが、自己研磨を怠らない姿勢には学ぶべきところがあるし、もっと自分なりのポリシーをもつ必要があるなあと、本書を読んで気づかされた。

 なお、この本はセルフパブリッシングという形で、筆者自らが電子書籍の形で出版している。しかも、通常の紙の書籍と同じような価格。実験的な試みといえるわけだが、時代の最先端を行っているし、出版にもこういうやり方が出てきたことが分かって驚いた。
タグ:ちきりん

ローマ帽子の謎 [ミステリ(外国)]


ローマ帽子の謎【新訳版】 (創元推理文庫)

ローマ帽子の謎【新訳版】 (創元推理文庫)




 ブロードウェイの「ローマ劇場」で新作劇を上演しているさなか、弁護士のモンティ・フィールドが客席で殺害されているのが発見される。死因はテトラエチル鉛という、特殊な毒物によるものだった。劇場には大勢の観客と劇場関係者がいて、騒然とした事態となる。ニューヨーク市警のリチャード・クイーン警視とその息子であり推理小説家のエラリー・クイーンは、事件の捜査を開始し、数多くの容疑者の中から犯人を捕まえるため、手がかりをたぐりよせていく。

 推理小説は、犯人のボケ(ミスディレクション)と探偵のツッコミ(ロジック)で成り立つ芸術である。犯人は、捜査をかく乱させるためにいろいろなトリックを考えてミスリードをして、自分に嫌疑がかからないように計略をめぐらす。これに対して、探偵が手がかりに基づいて論理的に推理を組み立てて、ときには犯人のミスを指摘しながら、その策謀を暴いていく。

 こういう犯人のトリックと探偵のロジックの面白さを追求したのが、本格ミステリの作家たち。昔懐かしい本格黄金時代と呼ばれる時代には、数多くの本格ミステリ作家たちがしのぎをけずって、数々のトリックを発明したり、論理の美しさを競っていたものだ。

 中でも突出した才能を持っていたのが、アガサ・クリスティとエラリー・クイーンという2人の作家。

 クリスティは、ミステリーの女王などと呼ばれ、ありとあらゆるトリックを考案してきた。ミスディレクションで読者を欺くことにかけては右に出るものがいない。いつも最後の最後にどんでん返しがあって、一杯食わされていたことに気づかされる。巧妙なプロットを組み立てる天才だった。

 対して、クイーンの作品の特徴は、そのロジカルな推理の面白さにある。推理小説では、よく犯行の動機や機会が問題になるけれども、単に動機や機会があるから犯人というのでは、犯人特定としては弱い。やはり、そこは犯行現場に残された手がかりから推理を積み上げていって、緻密に犯人を絞り込んでいってもらいたいのがミステリファンの心境なのである。

 クイーンの小説はその犯人特定にいたる論理の展開が実に見事で面白い。主人公のエラリーは、犯行現場に残された手がかりから、犯人の条件を推理していく。犯人は男か女か? 職業は? 右利きか左利きか? 犯人は被害者とどういう関係なのか? エラリーは現場に残された手がかり、誰も気づかないような些細な手がかりから、こういう犯人の特徴をあっという間に推理してしまう。そして、犯人の条件がいくつか集まると、容疑者にその条件を当てはめていって、消去法によって犯人を絞り込んでいくのだ。

 その論理展開があまりにも美しいので、思わずうーんとうならされてしまう。とくに「国名シリーズ」と呼ばれる初期の作品にその特徴が現れていて、どの作品も緻密なロジックが展開されていて読みごたえがある。

 本作「ローマ帽子の謎」は、そのエラリー・クイーンのデビュー作にあたる。そして、デビュー作にして、すでにクイーンの特徴である犯人特定のロジックが見事に現れた作品でもある。犯行現場にはいくつかの手掛かりが残されていたが、中でも大きく目を引くのが、被害者のシルクハットがなくなっていたこと。帽子はどこへ行って誰が持ち去ったのか? エラリーはこの帽子の手がかりから出発して、緻密な論理の力で犯人までたどり着いてしまうのだ。

 ミスディレクションのクリスティとロジックのクイーン。2人は本格ミステリの世界で双璧をなす存在といえるが、それぞれ特徴があるので、読み比べてみると面白いかもしれない。クリスティのほうが映像化作品も多いし、一般的には人気があるようにも思えるが、クイーンのロジカルな推理もいったんはまると抜け出せなくなる魅力を持っている。「ローマ帽子の謎」はそんなクイーンの特徴を知るのには、うってつけの作品。何度か読んでいるが、読むたびに新たな発見がある古典的な傑作だと思う。

池上彰のアフリカビジネス入門 [国際]





 人類発祥の地、アフリカ。内戦やテロ、貧困などのイメージもある大陸だが、今このアフリカが巨大なビジネスチャンスの場として注目を集めているという。

 インフラ整備に伴い人々の生活が徐々に向上し、若者人口も増加。今後の消費市場として活況が見込まれている。また、豊富な天然資源も活用できるようになり、輸出産業の成長も著しい。現在のアフリカ市場は、高度経済成長前の日本のような可能性を秘めた状況にあるという。

 本書は、そんなアフリカ市場の動向を、ジャーナリストの池上彰がレポートした本。現地アフリカにまで足を運び、現地の人々やアフリカビジネスにかかわる人々へのインタビューも行っている。

 アフリカの経済成長に必要なのは、①物流インフラ、②主食の穀物、③電力の3つ。本書はこの3つの観点から、関係者らがどのようにしてこれらの需要を満たしていくのかをつぶさにみていく。

 アフリカ本も、最近はこういうビジネス関連のものがずいぶん増えてきたように思う。それだけ、アフリカの市場が期待されているのだろう。これまでは途上国援助のイメージが付きまとっていたけれど、最近では援助よりも投資。ビジネス市場としての対象に、世界の見方が変わってきたのだ。

 実際、本書を読むと、すでに世界各国の企業が我先にアフリカへと進出している様子が見て取れる。日本の会社も、インフラ整備、自動車、地熱発電など、多くの分野で活躍しているそうだ。

 中国や東南アジア、インドなどが経済市場として、今なお注目されているけれど、これからはアフリカの時代がやってくるのかもしれない。当たり前のように、日本人がアフリカに飛び回る時代がやってくるんじゃないか。今後の国際情勢を考えるうえで、非常に参考になることがたくさん書かれていた。

 内戦や貧困といったこれまでのイメージとは異なった、新たなアフリカ像を与えてくれる本。これからアフリカがどんなふうに変化していくのか、楽しみに着目していきたい。
タグ:池上彰

歴史をつかむ技法 [日本史]


歴史をつかむ技法 (新潮新書)

歴史をつかむ技法 (新潮新書)




 歴史を再現するのは難しい。

 近い過去であれば生き証人がいるかもしれないけれど、何百年も前の出来事を見てきた人はいない。歴史をつかむためには、残された文献や遺物から推理して、イメージを組み立てていくしかない。

 その意味で歴史の研究というのは、推理小説などに出てくる殺人捜査に似ている。推理小説の探偵は、残された手がかりを見ながら、ああでもないこうでもないと推理をつなぎ合わせて、事件の全貌をつかもうとする。歴史学者も、残された文献や遺跡から推理を組み立てて、昔にどんな出来事があったのかをひもといていく。

 過去に何が起こったのかを探ろうとするのは、探偵も歴史学者も同じ。ただ、その時間スケールが圧倒的に違っていて、探偵が直近の過去を探るのに対して、歴史学者は何百年も昔の出来事を探らねばならない。歴史学者に残された手がかりもごくわずかだろう。

 「歴史をつかむ技法」は、まさにこうした歴史学者たちの過去を再現する技法を紹介した本で、日本史を例にとって、残された文献や出土品などから、過去のイメージを再現していく様子が描き出されている。歴史的に有名な出来事についても、どんな史料に基づいてどのように推察されてきたのかが明快に書かれていて、歴史を掘り下げて理解することができて、無類に楽しい本。

 単に教科書的に通史を紹介するのではなくて、パズルのピースのように推理を組み立てていくような雰囲気があって、まさに推理小説を読むような楽しさがある。歴史というものは、固定化されたものではなくて、いろいろな学者たちが推理を戦わせて、ときには通説がくつがえされて歴史イメージがひっくり返ってしまうこともある。歴史学とはそういうダイナミックな学問だということが見えてきて面白い。

 歴史をつかむための技法が種々書かれていて、これから歴史の本を読んだり、時代劇などに触れるときにも、本書は大いに参考になりそうだ。
タグ:山本博文

池上彰と考える、仏教って何ですか? [人文]


池上彰と考える、仏教って何ですか?

池上彰と考える、仏教って何ですか?




 人生、苦難の連続である。

 次から次に壁が現れては、乗り越えなければならなくなる。健康、お金、仕事、人間関係……。悩みがひとつ解決したと思ったら、すぐまた別の悩みが生じる。まさに、一難去ってまた一難といったところ。

 もしこんな苦しみから逃れる方法があったら、どんなにかありがたいことだろう。悩みを克服する良い方法はないものなのか?

 紀元前5世紀のインドで、すでにこのような人生の苦しみについて、思索にふけっていた人がいたという。ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)。シャカ国の王子。のちに悟りを開いてその考えを広め、その教えは仏教と呼ばれるようになる。

 ブッダは、王子として宮殿の中で何不自由ない生活をしていたにもかかわらず、思索的な性格からか物思いにふける日々を送っていた。ある日、外出先で老人、病人、死者を目にし、その人生のはかなさや苦しみに衝撃を受けると、こうした苦しみを逃れる方法を見つけることが自らの人生の目的なんだと考え、宮殿を飛び出して修行の道に入ってしまう。そして、ついに人生の真理にたどり着くことになるのだ。

 本書は、そんなブッダの人生とその教え、仏教伝来の経緯について、ジャーナリストの池上彰が分かりやすく解説した本である。入門的な本ながらも、仏教について幅広く知ることのできる良書。ダライ・ラマ14世との対談も載せられている。

 ブッダによると、この世の苦しみの原因は「煩悩」にあるんだそうだ。限度のない欲望を抱いたり、他人に怒りをぶつけてしまったり。人生思う通りにいかないのが当たり前なのに、なんでもうまくいくと期待してしまう。そして、期待通りにいかないことがあると、苦悩を感じてしまうのだ。

 ブッダはこうした「煩悩」を取り除く方法はないものかと、思索を続け、その考えを弟子たちに教えていった。その教えが脈々と語り継がれていって、仏教の教えとして現代にまで残される。

 悩みを抱えていたのは、現代人も昔の人も同じ。時代は異なっていても、同じ人間である。悩みが生じるメカニズムは同じようなものに違いない。だから、仏教の教えは今なお役に立つものといえる。

 本書を読んで、仏教は宗教といっても意外と現実的で、心理学のような雰囲気さえあることが分かって面白かった。現代人にも受け入れられやすそうな、実践的な内容である。悩みを抱えているときなどに、何か良いヒントを教えてくれそうで、もっといろいろと仏教について知りたいと思った。
タグ:池上彰

招かれざる客 [演劇]


招かれざる客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

招かれざる客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)




 人家まばらな土地に建つ邸宅から響き渡る銃声。家の主であるリチャード・ウォリックが殺害され、その妻ローラが被害者のかたわらで拳銃を握りしめていた。屋敷にやってきた男スタークウェッダーは、ローラの窮地を救うため、巧妙な計略を練り始める。

 アガサ・クリスティーが書いたミステリー劇。

 クリスティには珍しく、犯罪者の目線で物語の幕が上がる作品。刑事コロンボ風というか、どうやって警察の目をごまかすかという犯行計画が最初に描き出されるところが面白い。自殺に見せかけてはどうか? 事故に見せかけるのはどうか? 第三者に罪を着せるのはどうか? 警察の目を誤誘導させるたくらみが次々に出てきて、冒頭からスリリングな展開。クリスティがどのようにして、読者をミスリードしているのか、その舞台裏を垣間見ているようで、ファンとしてはうれしい始まり方だ。

 最初は犯人が分かっているように見えるのだが、読み進むうちに、だんだん本当にローラが夫を撃ったのか不明瞭になってくる。実はほかに犯人がいるんじゃないか? 登場人物だれしもが被害者を殺害する立派な動機を持っていたことが分かってきて、みんな怪しく見えてくる。本当は犯人はだれなんだろうという、謎めいた展開が繰り広げられて、疑心暗鬼になるような雰囲気にはぞくぞくさせられた。

 騙す側の視点に立って読んでいたと思ったら、実はいつの間に騙される側の目線にすり替わってしまっていたという巧妙な仕掛け。クリスティーはどこまでもプロット構成が巧みな作家だなあとうならされた。

 最後にはさらなるどんでん返しも用意されていて、これは予想できずに驚いてしまう。最後の最後まで油断できない作品だ。

 戯曲なのでセリフだけであるし、長さも短いのだけれども、緻密な構成と巧妙なトリックで、ミステリーとしての完成度は高い。実際に舞台で演じられているところをぜひ観てみたいなと思った。

世界史をつくった海賊 [世界史]


世界史をつくった海賊 (ちくま新書)

世界史をつくった海賊 (ちくま新書)




 映画や小説などで、ならず者として描かれることの多い海賊たち。だが、16世紀のイギリスでは、海賊行為は女王エリザベス1世からも支援されるほど国家と密に関わっており、イギリスの財政基盤を支える重要な暴力装置であった――。本書は、16世紀の海賊たちに焦点を当て、その意外な秘密に迫った一冊。

 16世紀当時のイギリスは、海洋貿易によって覇権を握るスペインやポルトガルの勢力にはかなわず、まだまだ弱小な二流国家であった。おまけに、プロテスタント国であるイギリスは、カトリック諸国に包囲され、いつ何時、侵攻を受けるかもしれない危険な状態にもあった。

 当時のイギリス女王エリザベス1世は、このような国難を乗り切るためには、早急に国力の増強が必要と考え、極秘の計画を推し進めはじめる。それは、海賊行為を支援して、スペインなどの船から金銀などを略奪させ、国の資金源にしてしまうという奇策だった。もちろん、おおっぴらにやったのでは戦争状態になってしまい、強大な軍事力を誇るスペインには到底かなわない。あくまでも秘密裏に行い、女王が関わっているとは悟られないようにカモフラージュするのだ。

 こうして編成された海賊の一団たちは、カリブ海や大西洋に浮かぶスペイン船やポルトガル船などを次々に襲撃しては、略奪品をイギリスに持ち帰り、イギリス経済の礎として重要な役割を果たすようになる。やがて、この海賊マネーによって、イギリスの国力は徐々に増大しはじめ、スペインをも打ち破り、世界の覇権を握る存在へと変貌していく。

 本書を読んで、海賊というものが、イギリス経済にどれほど重要な役割をはたしてきたかが書かれていて驚いた。フック船長とかシルバー船長とか、映画や小説のすり込みですっかり悪玉のイメージがあったのだが、見事にそのイメージがひっくり返ってしまう。単純な犯罪集団とは言い切れないところがあることが分かった。

 海賊マネーがイギリス経済に潤いをもたらしただけでなく、有名なイギリス東インド会社も、ロンドンの金融街「ザ・シティ」も、ロイズ保険会社も、海賊とその末裔たちが築き上げたものだという。イギリスのその後の世界貿易を推し進めたのも、海賊たちのおかげ。イギリスはこうして蓄えた資金力によって産業革命を起こし、世界中に影響を与えていったのだから、まさに海賊たちが歴史を動かしたといえる。このあたりの歴史のダイナミズムには大いに感動させられた。

 源流をたどっていくと、思わぬ原点に遭遇して、今まで見えなかった新しい世界観が広がっていく楽しさ。保険会社も、諜報活動も、香辛料・砂糖・コーヒーの貿易も、奴隷貿易も、実は海賊と重要な関係があった。これまでばらばらに持っていた知識が、海賊というキーワードを介してつながっていくような感覚があって、とても面白い一冊だった。
タグ:竹田いさみ

魔少年ビーティー [漫画]


魔少年ビーティー (集英社文庫―コミック版)

魔少年ビーティー (集英社文庫―コミック版)




 新しく学校にやってきた転校生ビーティー。彼はあらゆる手品やトリックに精通する謎の少年。友人の公一とともに数々の難事件に遭遇したり、騒動に巻き込まれたり。何度も危険な目にあいながらも、得意のマジックでピンチを乗り切っていく。スリル満載のミステリー短編集。

 荒木飛呂彦の漫画にはよくマジックが出てくる。ロープマジックや、人間消失、鏡のトリック、ミスディレクションなどなど……。トリッキーな仕掛け満載なので、マジック好きにはたまらない魅力がある漫画家だ。頭脳戦のようなものが描かれることが多いのだけれども、その戦いはまさに相手をいかにうまく引っかけるのかという騙しあいの世界。マジック対決を見ているようなわくわく感がある。

 そんな荒木漫画の原点ともいえるのが、本作「魔少年ビーティー」である。謎の少年ビーティーが、犯罪計画を実行したり、悪人と対決したりする話。ここでもやはり頭脳戦が描かれていて、ビーティーが手品のトリックを使って敵の目を欺いていく。全編マジックのオンパレードという感じだし、細かな手品の解説までついていて、作者はよほど手品が好きなんだなあということが見えてくる。

 ミステリー作品としてもよくできていて、敵を倒す頭脳戦というだけでなく、作者が読者を騙してミスリードする、物語上の仕掛けもふんだんに登場する。予想を覆されるような意外性があって、なかなか油断できない。ピリッと毒が効いているけれども、おしゃれな雰囲気があるところなどは、よくできたミステリー小説を読んでいるような味わいがある。

 外国のミステリー作品からの引用ともいえる場面もいくつか出てきて、作者自身のミステリー偏愛が感じられて、ミステリーファンとしてうれしかった。主人公のビーティー自身、シャーロック・ホームズへのオマージュということらしい。

 悪魔のような頭脳の持ち主でありながら、強い正義感をも持ち合わせているという不思議な少年の物語。そのサスペンスフルな冒険の数々には、大いにわくわくさせられた。
タグ:荒木飛呂彦

脳はすすんでだまされたがる [手品]


脳はすすんでだまされたがる  マジックが解き明かす錯覚の不思議

脳はすすんでだまされたがる マジックが解き明かす錯覚の不思議

  • 作者: スティーヴン・L・マクニック
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 単行本



 マジックが好きで、テレビなどでマジックショーをやっているとつい見てしまう。マジシャンがカードの数字を当てたり、美女を切断したり、ウサギを消したり、ボールを浮かせたり、さまざまな不思議現象が起こるのを見るのは楽しい。その面白さは、現実にありえないようなことが目の前で起こる不思議さ。幻想を目の当たりにする驚きにあるといえるだろう。

 だが、実はマジックがもっと面白くなるのは、種明かしをされた時だったりする。

 種を明かされるとがっかりするという言い方がされることがあるけれども、自分の場合は逆に種が分かるとより一層マジックを楽しめてしまう。どんなふうにマジシャンがトリックで人を錯覚させているのか、そのメカニズムを知ることで、マジシャンが人をだますためにさまざまな創意工夫を凝らしていることが見えてくる。よくこんなこと考えるよなあという、逆転の発想がたくさん出てきて楽しい。秀逸なトリックに遭遇したした時などは、面白いミステリーを読んだ時のような感動さえある。

 そんなだから、マジックの種がのっているネタ本のたぐいも、ときどき読んでしまう。マジシャンを目指しているわけではないので、実演が目的ではなく、あくまでも面白い発想を見つけるのが目的。人を錯覚させる手法の数々は、まさにアイデアの宝庫のよう。

 とくに、いくつか読んだマジック本の中でも抜きんでて読みごたえがあったのが、本書「脳はすすんでだまされたがる」だった。筆者はプロのマジシャンではなく脳科学者。もともとマジックに縁もゆかりもない科学者が、マジックの世界に足を踏み入れ、マジックのからくりを脳の観点から解き明かそうとする内容。

 マジシャンが行っているマジックのメカニズムが、脳の機能と関連して系統的に理解できるようになっている。ひとくちにマジックといっても、視覚を錯覚させるもの、認知を錯覚させるもの、自由意思を錯覚させるもの、記憶を錯覚させるものなど、さまざまな種類があることが分かる。

 人間の脳は決して完全無欠なものではなくて、いろいろな限界が存在しているそうだ。ひとつのことに集中するとほかのものが見えなくなってしまうとか、一度に記憶できる数に限界があるとか、残像が視覚をさえぎってしまうとか。注意をそらす要素がたくさんある。マジシャンはそんな脳のスキをついて、見せたいものを見せ、見せたくないものは隠してしまう。マジシャンが驚くほど巧妙に脳の仕組みを使って、幻想を見せていることが理解できて、かなり勉強になった。

 脳科学だけでなく、単純にマジックの種明かし本としても楽しめる。具体的なマジックのネタがたくさん紹介されていて、マジックの解説部分だけでも十分に読みごたえがあるのだ。トランプスプーン曲げ、読心術、未来予知など、面白いトリックがわんさか出てくる。

 マジックを脳の観点から分析した科学書としての楽しみ方、マジックのトリックを解説したネタ本としての楽しみ方、一冊でいろいろな楽しみ方ができるし、これからマジックを見るときに新たな視点を与えてくれる、読み応えのある本だった。

情況証拠 [ミステリ(外国)]


情況証拠 (上) (日経文芸文庫)

情況証拠 (上) (日経文芸文庫)




 熟練弁護士のベン・ポッターが、頭を銃で撃ち抜かれて死亡しているのが発見される。自殺のようにも見えたが、ベンは最高裁判所の裁判官に指名されたばかりで、待ち望んでいた将来を棒に振るとは考えがたかった。警察は他殺の線が濃厚と見て、捜査を進め、ベンの妻であるタリアに疑いの目を向けはじめる。タリアはベンから離婚を迫られており殺人を犯す動機があったと見られていたのだ。タリアの知人のポール・マリアドニ弁護士は、タリアを苦境から救うべく調査を進める。

 法廷物の面白さというのは、犯罪の嫌疑をかけられて最大のピンチにある被告人の嫌疑を、思わぬ展開で晴らしていく逆転劇にある。続々と不利な証拠が集まって、もう無理なんじゃないかと思わせておいて、あとからひとつずつ不利な点をひっくり返していくすがすがしさ。まさに起死回生のドラマティックな展開が楽しいジャンルだ。

 小説に限らず映画でもドラマでも、このパターンはよく使われる。被告人には強力な動機があって、アリバイがなく、犯行を裏付ける情況証拠が次々見つかるという始まり方。ある意味ワンパターンとも言えるけれども、大きなフレームは同じとはいえ、やはりどんな事件かによって内容は千差万別。展開にもいろいろなバリエーションがあって、読んでいて面白い。

 本作もそんな黄金パターンに通じる作品で、被害者の妻タリアの殺人容疑を晴らしていくお話。最初は本当に矢継ぎ早に不利な証拠が集まっていって、殺人の動機に、凶器との結びつき、不利な目撃供述と、これからどうなっていくんだろうと思わず続きが気になってしまう。でも、最初は不利に見えた証拠の数々も、反対尋問で穴が見つかったり、証拠として弱いことが分かったり。徐々に形勢が逆転していくのだ。

 同じ証拠でも、別の角度から光を当ててみると、全く異なるイメージが浮かび上がってくる。一面的なものの見方ではなくて、多面的なものの見方が必要なんじゃないか。そんなことを考えさせてくれる興味深い作品である。

 単純にミステリーとしてもよくできていて、他に真犯人がいるのではないかと真相を探るうちに、隠された過去が暴きだされるところなどはぞくぞくするし、全く関連性の内容に見えた小さな事件などが、実は本筋にも関連していたというところなどは大いに驚かされた。最後には思わぬどんでん返しも待っていて、うまいなあとうならされてしまう。

 スティーヴ・マルティニという作家のものはこれまで読んだことがなかったのだが、今回始めて読んでみて割とすいすい読める作品だなあと感じた。内容も緻密に組み立てられていて非常によくできている。法廷物ミステリーの中でもとくに秀逸で、続編などもまた読んでみたくなった。